グロ中尉

今日は楽しいお食事会でした。今回はその帰り道のお話。

 

※この記事はグロテスクな表現や不快な描写が含まれます。苦手でない方のみ反転してお読みください。

 

以下反転↓

終電にも間に合い、地元駅からの帰り道を歩いていると視界の隅で何かが動いた気がした。この後激しく後悔することになるのだが、よく見ると黒光りするダンゴのようなものが3つほどもそもそと動いていた。お察しの通りその正体はゴキブリ。ぼくが地球上で最も嫌いな生物の一つだった。

うわぁいやなものを見てしまったなぁと落ち込みながらもそそくさとその場を離れたのだが、それから先は何かと足下が気になって仕方がなかった。地面にへばりついて真っ黒になったガムとか、アスファルトが欠けてそこだけ陰になっているところとかがゴキブリさんなのではないかとビクビクしながら帰った。そのせいか暫く歩いた後、この日2度目のできれば出遭いたくないものに出くわしてしまった。

車道の上に横たわるネズミの白い死骸。赤い血を当たりに撒き散らして骨も飛び出していて、とても注視する状態ではなかったし処理する気にはなれなかったのですぐに目をそらしてそのまま通過した。

どうして今日はこんな目に遭うんだろうかと思いながら歩いているとふと、あのネズミの死骸は誰が処理するんだろうかという疑問が湧いてきた。ぼくはできればやりたくないし(だからこそ無視して歩いた訳で)、誰だってやりたくないだろう。ゴミ収集車のオジサンならひょっとしたら発見してそのまま車に放り込んでくれるかもしれないが、このまま放置されると臭いとか厳しくなりそうだし、健康に悪い病原菌とかも繁殖するかもしれない。

しかし自然界では生物がこうやって(車に轢かれるということはないが)捕食以外の理由で死ぬということは珍しくないハズだ。自然界ではいったい誰がこうした死骸を片づけるんだろうか?ぼくは大学で生物学を専攻しているわけではないから言い切れないが、ひょっとするとそれはさっき見たゴキブリのような生き物なのではないかと思った。

自然界に転がる死体の肉は他の生物が食べつくしてくれるし、土に埋まればバクテリアが分解してくれて、残った骨は砕けて砂に混じって、綺麗さっぱりいなくなる。そうやって自然界の衛生は保たれている。だからサバンナでライオンの食べ残しから伝染病があちらこちらに広がる可能性は少ないし、人間たちも昔からそれを知って死んだ人の遺体を焼いたり土に埋めたり乾かしたり色々工夫してきた。

ここまで考えた時、ふと自分自身が死んだ時の事を考えてしまった。今は実家に住んでいる身なので、夜中眠っている時に心臓が気まぐれで止まってしまったとしても、親が気付いて死亡診断書を書いてもらうために医者を呼んでくれるだろう。でももし両親が死んで兄弟も家を出てしまったり、僕が家を出て一人で生活することになった場合、僕が自宅で死んでしまった場合はどうなるんだろうか。大家か近隣住民かおまわりさんか誰かが、ポストに詰まったチラシの束を見て不自然に思って気付くだろうか?はたまた異臭が出るまで放置されて、そこでやっと気付くだろうか?いづれにせよ僕の死体は、それはそれは見るに堪えない状態になっていることだろう。もしかしたらさっき会ったゴキブリくんの子孫がたかっているかもしれない。それでも僕の身体は彼らより相当大きいから、食い尽くすには相当時間がかかるから発見される方が早いと思う。そうなった時、幸運にも身内が葬式を開いてくれればいいがその時参列者に僕(の死体)は合わせる顔が(物理的に)ない。いくら死んでるとはいえ、それではあんまりだ、最後の挨拶くらいちゃんとさせてほしい。

ぼくはふと思った、もしかすると結婚とかってこういうのを避けるためにするのかもしれないと。結婚をして、さらには子供までもうけようものなら独りで暮らしていくのよりもっと金がかかるし自由な時間というものもどんどん減っていくだろう。それでも自分のパートナー(異性で無くてもよいなと思った)に、子供たちに、自分が死んでしまったらいち早く見つけて欲しい。そういう役割の人を、僕たちは必要としているのかもしれないと思った。

最近では最悪コンビニのアルバイトで終身独身のまま生きていくという未来も想定して、その中でどう人生の幸せを見出すかを考え始めていたぼくであったが、やはりそこそこ頑張った方がいい気がしてきた。世間は厳しい。

おわり。